02.05.火  
いにしえを偲ばんとす
 2月1日の耐寒行事の第三チェックポイントから眺める景色は圧巻でした。カメラに収めた数枚の写真を見て、このまま埋もれさすのはもったいないと思い、改めて紹介することにしました。

 うっすらと雪を被った六甲山系を背景に手前に広がる大阪平野は、無数の建造物で埋め尽くされています。写真(左・中)の一続きの景色が眼前に広がっていました。大阪湾を囲んで大阪府のほぼ全域と神戸から明石に連なる町並みも見えています。おそらくこの写真におよそ1千万人の人たちが写っているのでしょう。日本の約8%、世界の約0.13%もの人がこの中にいることになります。やはり私たちが生活している所はとても大きな町です。

 それにしても、いつ頃からこんな景色になったのでしょう。このような景色になることをいつ頃の時代の人が想像し始めたのでしょう。同様に、私たちは100年後、1000年後のここから見た景色を想像できるのでしょうか。

 右の写真は真ん中の写真を切り取って拡大したものです。一番手前には今年わーるごカップが行われる花園ラグビー場が、そしてその真上、ちょうど写真の中央に大阪城天守閣が写っています。今やその周りを高層ビルが群れになって建ち並んでいますが、大阪城が少し小高い丘(上町台地)にあるのが分かります。高台にそびえたつ天守閣はさぞ威風堂々としていたことでしょう。かつて、秀吉はここからどのような景色を見ていたのでしょう。

 大阪城のすぐ南には難波宮跡があります。秀吉はこの地を支配したおよそ千年も前、日本の首都がここにあったと言われています。当時、鎌足が見ていた景色はどんなであったのでしょう。

 数万年前この地に人が住み始めて以来、第三チェックポイントから見た眺めが時間の流れとともにどのように変わってきたのかを考えることは、私たちのこれからを生きていくために無駄にはならないような気がします。

 今や瞬く間にその景色を変えることができるようになった私たちが、何を大切にしてどのような景色の中で生きていきたいのか、時には教室から抜け出してこのような景色を眺めながらぼんやり考えることがとても大切なことのように思います。