11.21.水  
創作・カレンダーを作る@〜3年「書道V」
 今朝はうす雲が張っています。上空に寒気が入っているのでしょうか。徐々に下り坂になりそうな気配です。昨日、札幌で観測史上最も遅い初雪があったというニュースが入ってきました。そういえば、大阪では例年11月上旬に吹く木枯らしはまだやってきていません。明日はようやくその木枯らしが吹きそうです。寒い冬がやってきました。

 1時間め、3年「書道V」の授業を見学に書道教室に行きました。担当はもちろん書道の鈴木先生です。

 本校の書道で学ぶ漢字の書体は、1年生で楷書と行書、2年生で篆書、隷書、草書の順に5つです。3年生では、これらの書体を使って漢字を書いたり、あるいは、かな文字を書いたり、漢字仮名交じりの書を書いたりと、創作活動に取り組んでいます。みんな黙々と、また、とても意欲的に作品の制作にあたっています。今日は来年のカレンダーの空けてある所に6枚の作品を貼りつけて1枚の大きなオリジナルカレンダーを作ります。

 「6枚とも違う人が書いたと思われるように表現を変えてください。」

 先生から難しい条件が提示されました。どうすればよいか、先生が手本を示しながら今日のテーマである「表現の工夫」の仕方について教えられました。



11.21.水  
創作・カレンダーを作るA〜3年「書道V」
 「線の太細」「疎密」「用筆」「字形」「墨量」「運筆のスピード」「墨色」表現の変化の仕方について、実際に書きながら丁寧に説明されています。生徒たちは流石です。それらを全部マスターしているようで、さらさらと描いていきます。中にはうす墨で書いた上に重ねるように、細筆でお似合いの言葉を書き込んでいる人もいます。どんなカレンダーができるのでしょう。楽しみです。

 教室は墨の匂いが広がっています。なぜか心が落ち着きます。何年前ころまででしょう。日常生活から硯と墨がなくなったのは。かつては墨をする時間があるような生活だったのでしょうか。私たちの社会はどこへ向かって言っているのでしょう。私たちはどこに行きたいのでしょう。どんな社会を望んでいるのでしょう。

 「書道V」を選択している生徒たちは、少なくとも週に2回はこんな時間を持つことができました。素晴らしいことです。単に字を書く技量が向上しただけでなく、心静かに書に向かう時間は、生き方そのものを考えるきっかけになったことでしょう。
 「何を大切にして生きるか。」
 答えは1つに定まりませんが、考え続けていたいものです。



11.21.水  
3年「英語表現U」
 4時間めは3年3組教室での「英語表現U」を見学しました。担当は城戸先生です。高校3年生の11月、いよいよ学校での英語の授業も最後になる生徒もいることでしょう。今日は時制の表現と仮定法の復習を行っていました。時制を問う問題はセンター試験でも毎年のように基礎問題として出されていますが、改まって訊かれると急に難しく考えてしまうことがあります。生徒たちは結構スラスラと誤ることなく答えていました。

 If you were to win the lottery, what would you do ?

 そういえば今日は年末ジャンボ宝くじの発売日だったようです。



11.21.水  
セメント樽の中の手紙〜1年「国語総合A」
 5時間めは1年2組の「国語総合A」の授業を見学しました。今日は、葉山嘉樹の「セメント樽の中の手紙」、担当は藤井先生です。
 プロレタリア文学といえば小林多喜二の「蟹工船」が有名ですが、同じ時代に生きた葉山嘉樹の作品は、プロレタリア文学の範疇を越えて、読み手に無限に広がる想像の余地を孕んでいるように感じさせられます。
 「セメント樽の中の手紙」は、僅か3,000字ほどの文字に筆者の籠められた想いが、「釘づけされた」小箱の中に詰まっていて、とても奥行きの深い読み応えのある作品だと思いました。

 その想いは、赤いセメントになった恋人への純粋な愛に生きる女工の手紙を、毎日セメントまみれになって働く松戸与三がボロを解き開くことによって、ようやく世間に解放されます。とても凄惨な出来事と一緒になって。

 生徒に配付された「読解線引きプリント」は、本文の言葉の一つひとつに注視して設問が並んでいます。中には、読み手の想像力に委ねられていて答えが1つに定まらない問いもあるように思いました。

 「私の恋人の着ていた仕事着の切れを、あなたにあげます。」
 この一文はどんな意味があるのでしょう。漢字二字を当てはめるのであれば、どんな言葉がピタッとはまるでしょう。とても深くて難しい問いです。
 先生は、「連帯」「御礼」という2つの異なる言葉を当てはめられました。なるほどです。私はもう少し違う言葉を探していました。粉々になってセメントになった恋人の居場所を追い求める女工の想いはそれでは済まされない気がしたからです。返事をくれようとくれなかろうと、そのボロ切れはただのボロではないことを伝えたかったのではないかと思いました。「粉々になった体を包んでいた仕事着なのですよ。クラッシャーの中で粉砕されずに唯一残った生きた証なのですよ。だから大事にしてください。」と、女工の「執念」「情念」のような強い念を感じていました。
 先生の「連帯」という言葉を聞いたとき、私の感じた「情念」のさらにその向こうに「連帯」があると思いました。大正から昭和初期の労働環境は劣悪そのもので、実際に自らセメント工として働き、その間に仲間を失ったことや、労働組合を作ろうとして、その運動が発端となって投獄された経験を持つ筆者のやり場のない憤りを「連帯」により昇華させたかったのではないかと、ここにプロレタリア文学としての読み方があるんだなぁと思いました。とても勉強になります。

 先生の発問はまだまだ続きます。授業の終わりの方になって、先生は改めてみんなに尋ねられました。
 「そもそもこの話は実話だと思いますか。それはなぜそう思うのですか。」
鋭い質問でドキッとしました。時間があれば、グループで話し合って生徒みんなの意見が聞きたい所です。
 
 1人の生徒が答えました。「実話を少し盛ったように思います。」
 生徒たちはよく頑張っています。私もよく考えました。ありがとうございました。