05.08.火  
「未来世代への責任」を読む〜3年現代文
 今日も雨がちの天気になりました。南西諸島では例年より少し早く梅雨入りしたと聞きました。近畿地方の梅雨は沖縄より約1か月後ろにずれるので、今年はどうなるのでしょう。体育大会が6月6日なので気になるところです。

 今日は3時間めの3年4組で行われていた増田先生の「現代文B」の授業を見学しました。直前にお願いしたのに快諾してもらいました。ありがとうございます。
 
 授業は教科書の第一学習社「現代文」の中から、著名な経済学者岩井克人氏の論考「未来世代への責任」について精読をしているところでした。岩井氏の文章は、一言一句が鮮明で無駄が全くありません。まさに「知的」の「知」の字が意味するとおり「矢のように口でずばりと言い当てること」を感じさせる聡明な論理的思考に基づく文章です。筆者に敬服するばかりです。
 
 しかし、授業は筆者が扱う語彙や表現の理解に留まるものではありません。大切なのは精読しながら自分の意見を持つことです。「だったらどうするか」を考えることが、自分も当事者の中の一人であると認識してこの論考と向き合うことになります。この自己内対話こそが授業の醍醐味であり、授業に置いて生徒の皆さんに求める到達点でもあります。

 増田先生は、一文ずつ考えさせ、丁寧に導きながら読み解いていかれています。「未来世代への責任」は、「地球環境問題」や「科学批判」といった大学入試問題でもよく扱われるテーマについて、「京都議定書」を例にあげ、その崩壊の原因を経済学者の視点から「倫理の枯渇」にあることを解き明かした点において見事だと感じます。

 「人は未来の人のために、我慢して生きることができるか」と言う問いかけに私たちはどのように答えることができるのでしょう。
 「今、遊んでばかりいると後で困るよ。」「将来を幸せに生きるために今何をすべきかを考えよう。」と人に言ったり、自分に言い聞かせたりしますが、「未来の人」が自分自身であっても、なかなか当事者意識を持てずにいることも多いかもしれません。しかし、「未来の人」のために何かをしなければならないことは、何十年も前から気づいていることには違いありません。私たちはどんな未来をつくることができるのでしょう。ぜひ、生徒の皆さんと一緒に考えたいものです。



05.08.火  
3年生模試受付けました
 昨日と今日の2日間の昼休みに、会議室では英検と漢検の申し込み、自習室では3年生のマーク模試、看護医療系模試の申し込みの受付をしました。受付してくださったPTAの皆さまにはとてもお世話になり、ありがとうございました。

 3年生は6日に実施された全統マーク模試を受けた人は、続けて申し込む気にはなりにくいと思いますが、大学進学を志している人は1年間の模試計画が教室に掲示されていますので、「いつ、何を目的に」を考えて計画的に受けてください。

 
 まもなく今日も終わります。今も3時間めの授業で読み解かれた増田先生の言葉が頭の中をぐるぐる回っています。「未来の人のために何をすべきか」〜時々考えてきたことですが、改めてこの大きな課題にぶつかっています。そして何もできていない自分がいることも思い知らされています。

 もっと身近な問題から考え始めてみようと思います。そして自分の中の「倫理」と向き合いたいと考えています。
 「今、目の前にとても欲しい靴が商品棚に並んでいます。値札を見ると10,000円。しかし、財布の中は1,000円しかありません。」
 この場合、10,000円貯まるまで買うのを我慢するか、リボ払いや借金をしてすぐに買うか。私はどちらのタイプでしょう。10,000円なら次の給料日まで待てば買えそうなので、きっと我慢するように思います。次の場合はどう思うでしょう。
 「今、目の前にとても欲しい自転車が店の目立つ場所に飾ってあります。値段を訊くと100,000円。しかし、通帳を見ると残高が30,000円しかありません。」
 この場合はたぶん諦めます。自分には贅沢な買い物だと思うからです。しかし、次の場合はなぜか判断が異なりそうです。
 「今、目の前にとても欲しい家が売っています。価格は30,000,000円。もちろんそんな大金は見たこともありません。」
 この場合は住宅ローンで借りることができれば、例えば30年間かけて15,000,000円の利子を加えてでも借金して買ってしまうかもしれません。
 なぜこのようなことが起きるのでしょう。それは人間の寿命、すなわち「死」との係わりを無視できなくなるからだと思います。せっせと働きこつこつと貯金しても何十年もかかってしまい、一生住めそうにないであろうと感じてしまいます。だから、借金してでも「生きている間にしたいことをする。」という欲求はごく自然なように思います。

 教育もそもそも「将来の自分のため」あるいは「未来の社会のため」を前提にした営みです。「奨学金を借りて進学する」というのも「将来の自分のため」の1つです。したがって、学校の勉強をしたり、自分の進路を考えたりすることは、自分の中の「倫理」と向き合うことを自ずと強いられているのです。

 こんなことをつらつらと考えていました。「どんな未来をつくるか」と「自分がどんな人生を歩むか」を考えることは共通するところがたくさんあるようです。 

 今日は素晴らしい授業をありがとうございました。