修学旅行通信【最終号】〜那覇から大阪へ
那覇空港18:05発JAL2088便は機体の到着が遅れているため、搭乗ゲート前で時間待ちをしていました。およそ30分遅れて離陸しましたが、順調に運行し20:50までには解散しました。運行中は機内でもWiFiができるようになっていることを知りませんでした。どんどん便利になっていきます。日本では東京オリンピックを境にAI化が加速度的に進み、20年後には今ある仕事の多くがロボットに代わると言われています。
そんな時代に八重山へ行ってきました。赤レンガとシーサーと四角い石垣、美ら海に囲まれ島の生活を守ってこられた竹富島の人々は、今の時代をどう思っているのでしょう。
この旅の終わりに、栞に載せていただいた拙文を掲載して、私もまた考えたいと思っています。
きらきらと金色に輝く大阪の夜景が眼下に広がってきました。窓際の席にいる生徒が「うわぁ、きれい。やっぱり大阪がいいや。」としみじみと言っているのを目を閉じてにっこりとうなずいて聞いていました。
現地での生徒たち自身の頑張りはもちろん、保護者の皆様の温かいご協力ご支援をいただきましたおかげでよい旅行ができました。本当にありがとうございます。また、同行してくださいました看護士の直居さん、JTBの方々、写真屋さんにはたくさんお世話になりました。ありがとうございます。そして企画運営やさまざまな事前学習を考え指導されてこられた学年の先生方に敬意を表し、感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました。きっと、旅の記憶は、生徒たちにとっていつまでも「ぬちぐすい」となることでしょう。
八重山に思う
「カーチーベー」…沖縄で夏の到来を告げる強い南風のことだ。沖縄でこの風が吹くと、そのおよそ1か月後に大阪の梅雨が明けることが多い。9期生が学ぶ3階の廊下に、八重山列島の地図と 照てる坊主が一緒に飾られたのは、まだカーチーベーが吹く前だった。
いよいよ楽しみにしていた八重山への旅が始まる。
日本列島は実に広い。大阪から那覇まで1,200q、さらに400q以上も先に八重山の島々はある。石垣島から与那国島まで、西表島、竹富島など大小23の島が、オーシャンブルーの海原を突き抜けて、熱帯雨林の森やサンゴの砂浜をつくっている。「海」「空」「森」「砂」「光」「風」「水」「波」「音」「星」…最果ての島、八重山の自然が語る言葉は私たちを魅了し、圧倒してやまないであろう。
「私が自分を知る一切のものを学び得たのは野原や森の外気の中のことである(ロダン)」と言われる感覚が自ずと湧き出してくる体験をさせてあげたいーそれが「なぜ八重山か」に対する答えである。
沖縄本島の南端摩文仁の丘に「平和の礎」がある。世界の恒久平和を願い、国籍や軍人、民間人の区別なく、沖縄戦などで亡くなられたすべての人241,468名の名前が刻まれている。沖縄県出身者は149,456人、その中には、石垣市4,400人、竹富町1,144人、与那国町701人の名前がある。伝え聞く悲惨な戦史の中でも「醜さの極致」として特筆される激しい殺りくが行われた沖縄戦は八重山の人々も飲みこんだ。ここには想像を絶する悲しい歴史がある。
生きるとは何か、豊かさとは何か。平和とは何か。ほんものの自然にどっぷりと浸かりながら、人間の社会について考える。自分が生きる道を考える、終わりのない旅を始めることである。
「なぜ八重山か」に対するもう一つの答えである。
仲間と寝食を共にし、いっぱい学び、いっぱい遊び、体いっぱいに美ら海を満喫するこの旅が実現できますのも、保護者のみなさまのご理解と多大なるご支援があってのことと、この場をお借りして心より感謝申し上げます。生徒にとってかけがえのない旅になりますことを願っております。